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マルセル・デュシャン | |
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(1887-1968 ) | |
フランス、アメリカ ダダ、シュルリアリズム , コンセプチュアル・アート | |
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ダダイズムの代表的アーティスト フランスに生まれ、晩年はアメリカに帰化した。 6人の兄弟姉妹がいて、兄2人妹1人は芸術家。デュシャン=ヴィヨンは夭折したがキュビズムの彫刻家として傑出した存在であった。 1904年、デュシャンはパリのアカデミー・ジュリアンで絵を学んだ。 初めのころは印象派風の風景画など描いた。 次第にキュビズムへと変化していった。 1912年に発表した『階段を降りる裸体No.2』は、アメリカでのヨーロッパ前衛芸術展アーモリー・ショーで紹介され、賛否両論のスキャンダルとなった。しかしこれでデュシャンはアメリカで有名になった。 アンデパンダン展でサイン入りの便器を出し拒否されたり、モナリザに髭を描き込んだりと、伝統的な芸術をことごとく否定していった。 1913年、「レディ・メイド」の作品を制作。これは既製品にそのまま名前を付けただけのもの。 しかし、このレディ・メイドの発明は、戦後アメリカのポップ・アートへの流れを作っていく。 『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』は1915〜23年にかけて制作されたが、未完のまま作品を放棄した。同時に芸術活動も放棄して、チェスに打ち込むようになる。 1942年からニューヨークに移る。 デュシャンの作品は西洋美術の概念を大きく揺るがせ、偶像破壊者のようなその活動は、芸術概念そのものをゆるがす様々な問題を提起した。 |
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The King and Queen Surrounded by Swift Nudes 1912 114.6 x 128.9 cm | |
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Fountain 1917 30.5 x 38.1cm | |
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Fresh widow 1920 789 x 532cm | |
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